天皇に位を与えた両面宿儺の謎
「日本書記」には「仁徳天皇の御世の頃(400年頃)のことです。飛騨に現れた宿儺は、1つの体に2つの顔があり、4つの手と4つの足がありました。宿儺は、4つの手で弓矢を射ることができ、住民から略奪することを楽しみとしていました。そこで仁徳天皇は、難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)を派遣して宿儺を討伐しました」と、天皇に反抗した大悪党として、両面宿儺のことが書かれています。
ところが、飛騨地方に残る伝承の中の両面宿儺は、それとは真逆のヒーローなのです。 飛騨の善久寺には、両面宿儺出現の様子を伝える「両面宿儺出現記」が残されています。以下、引用します。
仁徳天皇の時代、日面(ひおも)村の出羽が平の山上が大鳴動し、岩壁が崩れて岩窟が生じた。その岩窟の中から、二面四手四脚、身の丈6メートルの両面宿儺が甲冑を帯び、手に鉞(まさかり)を持って忽然と出現した。山の畑で仕事中だった村人たちはこれを見て大いに恐怖し、逃げ散ろうとした。すると宿儺は大声で告げた。「恐れることはない。我は今、仏法守護、王法一大事のときであるので、この世に出現したのだ。現世に奉仕する者なのだ」村人が逃げ惑うなか、1人の男が踏み止まり、宿儺に平伏再拝して、こう述べた。「尊者の命に服したいのですが、お体が大きいので狭い我が家に招くことができません。」すると宿儺は印を結び忽然と小身となり十一面観音に変化した。男はこれを大切に抱いて日面村に帰り、接待したのち、庵を建てて宿儺に仕えた。
(引用はここまで)
なんと、両面宿儺はヒーローどころか完全に神さま扱い!笑
これはいったいどういうわけでしょうか…?
飛騨の伝承によると、「位山」と呼ばれた山は三つあると言います。
長野県と岐阜県の県境にある「乗鞍岳」、千光寺のある「袈裟山」、そして現在の「位山」。
なぜ位山と呼ばれるようになったかというと、神武天皇が位山に登山した時、身一つにして面二つ、手足四本の姿をした怪異な神(両面宿儺)が天から降臨し、天皇の位を授けたので、この山を位山と呼ぶようになったと…(今でも天皇陛下が即位されるときと、伊勢の神宮の式年遷宮のときには、位山のイチイの木から作られた笏が献上されているそうです)。
なるほど、この伝承を読んでピンと来ました!
「日本書記」は、天皇家の権威を諸外国に示す歴史書でもあります。つまり、天皇以上に権威ある両面宿儺の存在は不都合だったのです。そのため、真実を隠す必要があったのでしょう。その証拠に、飛騨の伝承での両面宿儺は、朝廷から派遣されたとは戦わず、位山に案内して、帰順の意としてイチイの木で作った笏を献上したことになっているのです。
何より、僕が最も重要な情報だと感じたのは…
両面宿儺が位山(乗鞍岳)を信仰の山とし、その山頂直下にある権現ヶ池(朝日が水面に映る場所だったそうです)に住民を集めて、日拝(太陽礼拝)をしていたという伝承です。
天皇とは、代々、太陽神霊(=天皇霊)が大嘗祭にて受け継がれていくシステムです。そして、伊勢神宮の内宮に祀られるアマテラスという太陽神霊は、自然界の太陽の象徴とされていますが、本当は、私たちのイノチの根源としての霊的太陽の象徴でもあるのです。つまり、自然界の太陽とは、この霊的太陽が物質化したものであり、その物質太陽の奥にある霊的太陽のエネルギーを丹田に取り込み、太陽神霊との合一を目指す修行法が日拝だと言えるでしょう。
やはり、両面宿儺が授けた天皇の位とは、この太陽神霊(=天皇霊)のことだったのです(もちろん、両面宿儺が太陽神霊との合一を果たしていたからこそ、神武天皇にその位を授けることができたわけです)。
まさか、天皇というシステムの創始者が、両面宿儺だったとは…。
日拝(=太陽礼拝)は、飛騨のあちこちでさかんに行われ、後に、その場所は「日抱神社」という名の神社となって、たくさん残っていたそうです。また、飛騨を出て行った人々は、自分の故郷を「日抱(ひだき)」をするところ、すなわち、「日抱(ひだ)」と言い、その後、「飛騨(ひだ)」という地名になったとも…。
大昔から長い長い間、日拝が行われ続けた場所は、その情報が記憶された特別な霊的空間となっています(補足参照のこと)。
やはり、私たちのイノチの根源とつながる霊的空間を、両面宿儺は飛弾の地に領域展開していたようなのです…(笑)。
~補足~ 生物学者のルパート・シェルドレイク(元オックスフォード大学教授)が、1981年に発表した「シェルドレイクの仮説」というものがあります。 分かりやすく言うと、自然界には電気や磁気や重力以外に「形の場」という未知の力の場が存在していて、宇宙にある形や行動パターンが刻印されると、「形の場」の共鳴作用によって同じような形や行動が起こりやすくなるということです。身近な例で言えば、陸上競技男子100メートル競走において、10秒を切ることは不可能だと考えられていましたが、1987年に、アメリカのカール・ルイスが9秒93(電動計時)を出して以降、男子の記録は全て9秒台です(現在の世界記録は、2009年にジャマイカのウサイン・ボルトが出した9秒58)。 そう考えると、お経を読んだ人に奇跡が起こるのも、そのお経で救われた人たちの霊的空間につながるからですね。
生きながら神になる
また、日拝と言えば、江戸末期の神道家・黒住宗忠公のことが思い起こされます(彼は、数えきれないほど多くの人たちの病を治し、死者さえも、三度、生き返らせたという驚くべき逸話の持ち主です。まさに、生きながら神になった人でした。「そんなバカな…」と思われるかもしれませんが、彼の言行録を読むと、その力は本物であったと思わざるをえないのです)。
ある日、「心は神である」という一句を、室町時代の神道家である吉田兼倶(かねとも)の「神道大意」の中に見つけた宗忠公は、「生きながら神になる」という強い志を立てました。
とは言っても、いったいどうしたら神になれるのか…?
宗忠公は書物を読みあさり、識者と名高い人たちを訪ね歩き、その答えを求め続けましたが、ついに、明確な答えを得ることができませんでした。
ところが、そんな宗忠公に「天命直受(てんめいじきじゅ)」と言われる、大転機となった神秘体験が訪れます。
宗忠公33歳のとき、一週間のうちに、続けて両親を亡くすという不幸に襲われました。
その悲しみは筆舌に尽くしがたく、とうとう悲しみのあまり病気を患い、「余命わずか」と、医者にも断言されてしまいました。
そのとき、突如として、宗忠公は思い改めたのです。
「このように不甲斐ない、今の自分の姿を両親が見たら、どんなに悲しむことだろう。自分はとんでもない親不孝をしていたものだ。悲しみのあまり陰気となり、病気になったなら、今度は、その逆をすればよいはずだ。日々、面白く生きて、心に陽気を養えば、病気は自然と治るに違いない」と…。
宗忠公は、毎日の日拝と、お日さまのように陽気に生きることを心掛けるようになりました。
それから、宗忠公の病気は、どんどん回復の兆しを見せ始めていきます。
その年の冬至の朝のこと…。
昇る朝日を拝んでいると、突然、お日さまから光の玉が、宗忠公に飛び込んできて、お日さまと一体となる不思議な体験をしたのです。
その瞬間、不思議なことに、宗忠公の病気も消え去っていました(奇しくも、冬至の日の出の時刻が、宗忠公の誕生日です。冬至は一年で最も日の短い日です。その陰極まった日に昇る太陽の光は、一年の中で最もパワーあるものだと言い伝えられています。なぜなら、冬至を境に日は長くなります。つまり、陰から陽へと転じさせる強大な霊的エネルギーを、冬至の太陽は秘めていると考えられていたからです。だから、冬至には、ゆずを冬至の朝日に見立てたゆず湯に入り、一年の無病息災を願うのです)。
宗忠公の全身(全心)は、ありがたさと嬉しさと悦びに満たされました。
そのときの心境を、彼は次のように語っています。以下、「黒住宗忠に学ぶ生き方(山田敏雄著 たま出版 2003年5月15日発行 21P~22P)」より引用します。
「笛を吹いたり、琴や三味線を弾いたり、鐘や太鼓を打ち鳴らして歌い、踊ったりしても、この喜びはとても表現しきれるものではなく、たとえようのないほどのものである。このようなつらい世の中に生きている自分の身に、楽しいことなどは一つとしてないのに、どうしてこんなにも嬉しく、楽しい心になり変わったのであろうかと、われながらあきれてしまった。それからは、何を見、何を聞いてもみな面白く思われて、ものごとの道理すじみちがみなよくわかり、真昼に白と黒を見分けるように、少しも間違うことがない。まるで碁石の白いのと黒いのを引き分けるようである」と。
(引用はここまで)
なるほど、両面宿儺ゆかりの地には、宗忠公のように霊的太陽と一体となる秘密が、眠っているに違いない…。
そう確信した僕は、両面宿儺信仰(太陽信仰)の始まりの地であり、両面宿儺が開山したと言われる、袈裟山(位山と呼ばれた山のひとつ)にある千光寺に向かうことにしたのです…。
まさか、ウィーン、ウィーンと山が鳴くなんて…(笑)
千光寺の宿儺堂には、「はに丸くん(NHK懐かしのキャラクター)を彷彿とさせる可愛らしい宿儺像が立っていました(笑)。表側の宿儺像は勇ましい顔で、右手にはまさかりを持っています。木下住職いわく「まさかりは宿儺が飛騨の開拓者であることを表している」と。
一方、裏側の宿儺像は微笑んでいて、右手が大日如来の慈悲を表す胎蔵界(たいぞうかい)、左手が大日如来の智慧を表す金剛界(こんごうかい)を示す印を結んでいました。大日如来の名前にある「大日」という言葉は、「偉大な太陽」を意味しており、宇宙に存在するすべてのイノチは大日如来から生まれたとされています。つまり、大日如来もアマテラスと同様、私たちのイノチの根源としての霊的太陽の象徴なのです。
やはり、霊的太陽につながる両面宿儺の内的世界が、この地には領域展開されている…。
改めて、そんな確信を強めながら奥に進むと、弁天堂があり、さらにその奥には、袈裟山の山頂へ通じる登山口がありました。
その時です!
ウィーン、ウィーン、ウィーン、ウィーン、ウィーン…。
なんと、山が鳴り響き始めたではないですか…!
山が鳴り響く音を聞いたのは初めてだったのと、ウィーン、ウィーンなんて、その音の意外性にビックリしましたが、どうやらその音は山の上の方から聞こえてきます。
ウィーン、ウィーン、ウィーンと、袈裟山が僕を呼んでいるのです(笑)。
犬鳴山は修験道発祥霊山、袈裟山は両面宿儺信仰の発祥の地、どうも始まりの地がキーワードのようなのです。よく考えたら、始まりの地こそ、創造エネルギーに最も満ち溢れた霊域なのです。これから私たち一人一人が神となり、ミロクの世を新たに創造するのですから、始まりの地に記憶された創造エネルギーが不可欠なのかもしれませんね。
さて、当時の僕は、少し歩いただけ、階段を一段上っただけで、腰(腎臓あたり)が痛くなるし、ひどい息切れのため、何度も休息と深呼吸が必要な状態だったので、果たして無事に山を登って下りることができるかと、一瞬、不安がよぎりました。が、「死んでもままよ」と思い直し、氣合いを入れて登り始めることにしたのです。
すると、突風ならぬ神風まで吹いてきて、樹木までザワザワ、ザワザワと激しく音を立てて揺れ始めました。
どのくらい、登り続けたでしょうか…。
ふと見上げると、小さなお社がありました。
生い茂る樹木の枝葉の隙間から、太陽の光がポッカリ差し込んで、そのお社だけがまぶしく光り輝いています。
袈裟山のウィーン少年合唱団から呼ばれた場所はここで間違いない!笑
どんな願いも叶ってしまうワンネスの法則とは
お社の前には「この地は、古代信仰の祭場と伝えられ、両面宿儺の霊跡とも言われる。奈良時代には泰澄大師が白山大神を勧請…」と書かれた看板がありました。
なるほど、この日のために泰澄大師は白山大神をこの地に勧請されたのか!
どういうことかと言いますと…
白山大神は、キクリヒメ、または、ククリヒメと言われる謎の女神です。
「古事記」では、イザナギが黄泉の国から帰るシーンに登場し、白山大神はイザナギに何らかのアドバイスをされ、それを聞いたイザナギはたいそう喜んだと書かれてあります。
でも、そのアドバイスがどのような内容のものだったかは書かれていないのです。
いったい、どのようなアドバイスを白山大神はされたのでしょうか?
…とその前に、私たちがイノチの根っこでは「One=All(ワンネス)」であるという真理について説明しなければなりません。
我が太極拳の老師は、地球の引力が氣功武道における「氣」の正体であり、それはまた、地球の愛であり、その愛によって世界中の人たちはひとつに結ばれていると言います。
つまり、地球の中心で私たちはひとつ、すなわち、「One=All(ワンネス)」なんです。
だから、地球の引力はものすごい愛のエネルギーってことなんです。
その地球の愛である引力に、カラダとココロを同調させていく…それが氣功というわけです。
そして、私たちが地球の引力にすっかり同調して、カラダとココロからすべての緊張が消え去った時、大地のどん底(=地球の中心)で私たちを支える地球の愛に氣づくと、老師は言うんです。
その地球の引力である愛と、完全に一体になった状態が「One=All(ワンネス)」で、禅の悟りとはこのことだと…。茶道、書道、華道、剣道、弓道など、日本人は「道」という言葉が大好きですが、それも同じで、「One=All(ワンネス)」に至る道のことだと言います。
しかも、地球の引力に同調して「One=All(ワンネス)」になればなるほど、自分の思ったことがどんどん叶うようになってくると、老師は言うのです(笑)。
自分の手足を自分の思いどおりに動かすことができるのは、手足が自分の一部だからでしょう。それと同じ理由です。「One=All(ワンネス)」になったら、「自分=世界」ですから、その思いは瞬時に世界中に伝わり、世界中が自分の思いどおりに動いてくれるようになるわけです。
なるほど、倶利伽羅龍王さんが、どんな願いも叶えてやると大断言されていた理由は、コレだったのか…。
坐禅で姿勢が重視されるのも、地球の引力と同化して、地球の愛と一体化するためだったのです。
「エデンの園」への帰還は保証されている!?
実は、「南無妙法蓮華経」という言葉も、蓮の花にたとえて「One=All(ワンネス)」の真理を伝えたものです。水面に浮かぶ蓮の花は、ひとつひとつ別々の花に見えますが、その根っこはひとつです。すべてのイノチは、地球の中心ではひとつのイノチ、すなわち、「One=All(ワンネス)」だということを教えているのです。
また、蓮は泥水(善悪悲喜こもごもの現実界を象徴)の中にありながら、決して泥水に汚されることなく、逆に、そこから養分をしっかり吸収して、水面上に美しい花を咲かせます。
この蓮のように、たくましく生きるエネルギーの大切さ、それが、私たちのイノチの本質なんだということも教えているのでしょう
さて、地球の引力である愛と、完全に一体になった状態が「One=All(ワンネス)」と書きましたが、地球の中心は太陽の中心につながり、その太陽の中心は銀河系の中心につながり、その銀河系の中心は宇宙の中心へとつながっています。
つまり、すべての存在の中心は、最終的には、宇宙の中心へとつながっているのです。
「世界中の人たちは地球の愛でひとつにつながっている」=「すべてのイノチは宇宙の愛でひとつにつながっている」であり、「地球の中心で私たちはひとつ」=「宇宙の中心ですべてのイノチはひとつ」でもあるわけです。
というわけで、前置きがずいぶん長くなってしまいましたが、白山大神は次のようなアドバイスをイザナギにされたのです。
「肉体の死にとらわれてはいけません。『One=All(ワンネス)』の世界で、あなたとイザナミがは一度も離れ離れになったことはないのです。そのことを忘れないでください」と…。
イザナギから、アマテラス、ツキヨミ、スサノオの三貴神が生まれましたが、もし、イザナギ一人から生まれた子であるなら、三貴神に母親はいないはずでしょう。でも、スサノオは母親のイザナミを恋しがって黄泉の国まで会いに行こうとしたのです。
ということは、スサノオはイザナギとイザナミから生まれたことになるでしょう。
その理由はこういうことだったのです。
白山大神とは、「One=All(ワンネス)」の世界と、私たちをくくる働きをされる神さま…(白山大神がククリヒメとも言われる理由です)。
この神様がいらっしゃるから、私たちは「One=All(ワンネス)」の世界(またの名を「エデンの園」)に、再び、帰還することが保証されているわけです(この「エデンの園」が地上世界に顕現されてミロクの世となるのです)。
僕がこの地に導かれたのは、再び、この大いなるイノチの源泉と結ばれるためだった…。
ウィーン、ウィーンと袈裟山が鳴り響いたのは、まさに、イノチの世界からのコーリングだったのです(補足参照のこと)。
~補足~ 白峰先生いわく、「古代、世界王朝の主だった白山菊理姫は(エジプト文明にも関与していたそう)、もう一度、日本を中心に世界を結び、新たな世界文明を開く働きをする。それは、日の本の国、すなわち、太陽神界とつながる「霊(ひ)」の本の国の本来の役割でもある。その「霊」の本のエネルギーで世界をひとつにくくり、「One=All(ワンネス)」の新文明を開く働きをするということでもある。実は、魚座から水瓶座へのシフトは、白山菊理姫という女神の時代となったということ。 ただし、女性原理ではなく母性原理。水瓶座時代の世界は、母性原理で動くようになるということだ」と…。
「空(そら)の色」は何色でしょうか?
ここで、栄宗寺(道元禅師が開かれた曹洞宗のお寺です)住職のブログより、この世の創造の秘密について語られた素敵な記事を紹介したいと思います。
(http://kkr117.blog104.fc2.com/)
「空(そら)の色」は何色でしょう?
見上げてみましょう。
水色?青色?本当に?
確かに、晴れていれば日中の空は抜けるような青色が広がっています。
でも、夕方になったらどうでしょう?
茜色、夕焼け色にその色を変えてしまうのではないでしょうか。
そのあと時間がたつにつれ薄紫色、群青色、そして日は沈み空は夜の闇におおわれてしまいます。そして朝が来れば、空はまた薄紫から朝焼けに輝き、太陽を迎え日中の青空へと色を変えます。
さて、青色・茜色・夕焼け色・薄紫・群青・暗闇色それらの色のうち、本当の空(そら)の色とは、一体何色なのでしょう?
そう
空(そら)は無色透明です。
無色透明だからこそ、空はその時々の色に染まることができています。
もし、「空の色は水色!」と決まってしまっていたら、空は水色以外の色に変わることはありませんね?
しかし、実際はそうではありません。
空は、何色にでも変わることができています。
それは、空には決まった色がないから、無色透明だからこそできていることです。空は何か一つの色に留まることがありません。水色・茜色・黒色いろんな色になりながらも、一切の色を引き摺ることがありません。
空は色々な色を映すことができます。
青色も赤色もピンク色も黒色も、空はその身に映すことができています。
そのことがそのまま「空(そら)は無色透明」の証(あかし)です。
無色透明の空は、どんな色を映しても汚れません、傷つきません、壊れません。
そして
この空(そら)の様子は、そのまま今の私たちにも当てはまります。
私たちが喜・怒・哀・楽に染まる様子。
喜び色、怒り色、哀しみ色、楽しみ色、様々な色に私たちは染まります。
また、様々な「思い」「考え」にも染まっています。
「好き」「嫌い」「自分がある」「私は生きている」などなど様々な思いや考えを映し出しています。様々な景色(そこには身体や世界の有り様も含まれています)、音、におい、味、感覚にも瞬間、瞬間に染まっています。
そう
私たち自身も、空(そら)と同じように無色透明です。
本来、私たちは無色透明だからこそ、生まれたり、死んだり、泣いたり、笑ったり、色々なことを考えたり悩んだり、ということもできています。
あたかも
空(そら)が様々な色をその身に映し出すことができているように。
そして
様々な色を映し出している空(そら)自身は、汚れることも、傷つくことも、壊れることもないように。
(引用はここまで)
禅に「見性成仏(性を見て仏と成る)」という言葉がありますが、この「性」こそ、栄宗寺住職の言う「無色透明のスクリーンのこと」なのです。
手をゆっくり表にしたり裏返したりしてみてください。
不思議なことに前の映像が残らないでしょう(味も香りも音も同様です)。
これって当たり前だけど、よく考えるとすごく不思議なことなのです。
手を裏返した時、手が表だった時の映像は消えているのですから…。
ということは、刻々に前の映像が消えて新しい映像が創造されている、すなわち、無色透明のスクリーンに刻々に新たなイマが創造されていることになるのです。
宮沢賢治がこの世を交流電灯のようだと言ったように、新たなイマが一瞬、一瞬、創造されているのがこの世の真実です。電灯は1秒間に60回点いたり消えたりしていますが(関東では1秒間に50回)、僕らの目にはずっと点いているように見えています。同じように、この世界も消えたり創造されたりを繰り返していますが、
僕らの目にはずっとあるように見えているわけです。そして、僕らは過去の記憶や色んな思いが重さとなって似たようなイマを創造し続けてしまっているため、過去→現在→未来という時の流れがあたかも存在するかのように感じているのです。
なんじゃこりゃあ…(笑)
文殊菩薩さんの真言は「オンアラハシャノウ」ですが、その意味は「我は不生不滅、不垢不浄、不増不減の光なり」という意味です。生まれるとか滅するとか、汚れるとか清らかだとか、(お金などが)増えたとか減ったとか、それは、無色透明のスクリーンに映し出された映像に過ぎません。文殊菩薩さんは「あなたはそのスクリーンに善悪悲喜こもごものドラマを映し出している光源自身なのですよ」と教えているのです(フィルムに刻まれた映像をスクリーンに映し出すには、光源が必要なのと同じ仕組みです。補足参照のこと)。
~補足~ 禅の指導者である立花大敬さんは、想いが現実化する仕組みを暗示したものが、正月の鏡餅だと言います。てっぺんの柚子は、霊的太陽(私たちのイノチの本質の光)を表しており、二段目の餅は、そのイノチの本質から流れ出た光が凝縮してできたココロを表し、一番下の餅はそのココロが凝縮してできた地上世界を表していると…。つまり、イノチの光源があって、ココロというフィルムがあって、そのココロのフィルム上に描かれたイメージがあります。そのイメージが地上世界のスクリーンに映し出されることで、現実化が起こることを鏡餅は教えているというのです。また、般若心経には、色、受、想、行、識という言葉が出てきますが、これも同じことを教えています。地上世界のスクリーンに映し出されたドラマ(=色)を見て(=受)、私たちは様々な想いを抱き(=想)、繰り返し想うことで(=行)それが心に刻まれ(=識)、その刻まれた想いがまた地上世界のスクリーンにドラマ(=色)として映し出されるということを意味しています。
ちなみに、この世には、悟る役割の人と、その悟りを日常生活に活かす役割の人がいると思っています(法則を発見する科学者と、その法則を活かした便利アイテムを創造する発明家みたいな関係です)。
誰かが悟ったならば、その悟りを活用したらいいんです。
その悟りの正しさを検証するために、同じように何十年も修行して、「やっぱり、その悟りは正しかった」と、同じ悟りを得ても、人類全体から見れば、何の進歩も発展もないじゃないか…と思ってしまいます(笑)。
すでに数えきれないほど、たくさんの悟った人たちによって、悟りの正しさは検証されているのです(それに、世界中の人たちが悟りを求めて、朝から晩まで坐禅や瞑想をしていたら、社会は機能不全に陥ってしまいます 笑)。
わざわざ同じことを体験しなくても、もう十分ではないでしょうか…。
さて、話を本題に戻します!
僕は山を下りてから、驚くべき事実を知ることになります。
氣づけば、まったく息切れも休息もすることなく、スタスタと山を登って下りることができていたのです。
当時の僕は、心臓が3分の1しか動いてない状態だったにもかかわらず…(数日後、このあり得ない体調の変化は、あり得ない科学的データで証明されることになります。詳細は後述します)。
と同時に、心不全になって心筋が衰えたなら、再び、心筋を鍛え直して、心不全になる前より、もっと元氣になってやろうという猛烈な意欲まで、突然、フツフツと湧いてきたのです。
それだけではありません。
なんと、前日から宿泊していた旅館の雰囲気まで、ガラリと変わっていたのです!笑
どんよりした雰囲気の旅館だったのに、まるで実家に帰った時のような、居心地よい空間と温もりある接客に激変していました。
前日の料理はお世辞にも美味しいとは言えない料理だったのに、身も心も大満足なご馳走へとレベルアップしていました。
これだけでは氣のせいと言われても仕方ありませんが、な、なんと、温泉の質までまったく変わっていたのです。
前日は、ぬるく硫黄臭もまったくしない残念な温泉だったのに、袈裟山に登った後は、いきなり熱く硫黄臭のプンプンする素晴らしい温泉へと生まれ変わっていたのです。
なんじゃこりゃあ…(笑)。